科学者の精神(心)
科学者と聞いたらどんな人を思い浮かべるでしょうか。
科学の実験をしている人、白衣を着ている人など様々なイメージを思い浮かべると思います。
私自身、科学とは縁もゆかりもありません。
ニュースで「科学技術」を見る程度です。
ですがこの著者(池内了 氏)の内容は、「歴史」を好きで調べる人間にも参考になる内容です。
私はこちらの方面(科学・技術)に影響を強く受けているため、現在でも心に響いてくる
内容です。
「研究の醍醐味」
科学の研究を行っている者の最大の楽しみは何なのだろうか?
私の経験で言えば、いかに小さな仕事であっても「世界で初めての発見をした」という喜びを味わうことであった。
また世界中で誰も知らない真理を、自分が最初に見つけることができた、と自分で感動するのだ。
その瞬間は、研究を続けてきて良かったとつくづく思う。
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このように言えば芸術作品の創作や新技術のイノベーションに共通していることは確かである。
「創造する」という行為には、世界で初めて成し遂げたという陶酔感が伴っているためだろう。
(趣味であっても創造に関連していれば、同じ感動を得ることができることを考えれば、
情報通になるより、新しい術を開拓することを勧めたい)
かつてデカルトは、全ての事を疑うことから人間の営みが始まると述べた。
疑いようのない事とは、疑っている自分という存在だけだとした。
「われ思うゆえに我あり」というわけである。
人間は100%疑うことができない存在だ。
ところが時代を画する新発見は、そのような「常識」を疑い、これまでの「非常識」を再点検したところから生まれ出た場合が度々ある。
このような「常識」を破る発想、逆に言えば「非常識」への挑戦が、科学を大きく展開させたことが何度もあった。
いずれも「常識」への疑い、あるいは「非常識」への飛躍が出発点にある。
それらをまとめてみるのも面白いかもしれない。
(いうまでもないが荒唐無稽と非常識は同じではない。「常識」(科学)の限界を見極め、そこから外れた「非常識」(オカルト)の部分にあえて挑戦するということが大事なので、全くの夢想や空想から何かが生まれるわけではない。)
参考文献:「科学者心得帳」 池内了 2007年
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