【アメリカの物語】

 

これはアメリカの物語である。

(このホームページは主にアメリカの文化に強い影響を受けた内容となっています。)

アメリカ
アメリカの国旗とワシ(鳥は恐竜の生き残りの子孫といわれている)

時間記録官(主に歴史などの出来事を記録保管する政府内の部署)の話

 

「あなたがた西洋の人たちは、時間が過去・現在・未来へと直線的に進むと考えている。

そして東洋の人は、時間を死と再生が、円を描くように永遠に繰り返されていると考えている。どちらも事実を違った側面から言い当てているのだ。

直線運動と円運動、この二つを幾何学的に結び付けたらどうなるのか。

「らせん形になるのだ。」(そのため時間は進み、歴史は繰り返すというわけだ)

 

私たちが時間を計る時に、「数字」で時間を表す。

あなたたちは意味のない時間の単位に捉われていないか?

1年、1か月、1週間、1日? これは遠く離れた天体の事かね?

これが何の役に立つというのかね?

どうして植物のライフサイクルがぴったり30年であることや、ゾウリムシの細胞分裂が正確な周期で繰り返されていることに注意を払わないのかね?

地球全体が鼓動しているのだよ。」

「こちらへ来て座ってみるといい。山のきしむ音、木の伸びる音、大陸が動いている音を聞くことができる。滝が浸食されている音までも聞くことができる。」

「その事に気づけば、人生を今までとは違った尺度で計ることができるようになる。」

アメリカ
この物語で重要な地層

(私の感想) 2022年1月24日

 

「時間」という概念は、日本などの東洋では「輪廻転生」に見られるような「円運動」と捉えられている。人は何度でも生まれ変わるという考え方だ。

そのため時間は、一度人生を終えるとまた別な円を描くという。

これと違い西洋では「過去・現在・未来」という「直線的な運動」を想定している。

”過去から未来へ”、”現在から未来へ”、”未来から現在を見る”などだ。

例えば、インターネット(パソコン上)で時間を見る時にこの方法を使う。

時間(最新情報)から順に情報を並べていく方式なのだ。

 

インターネットの世代になり、西洋の時間の概念が主流になった。

反対に東洋の時間の概念は脇に追いやられた。

だが実際には両方とも正しい。

つまり私という人間は、物事を1つの面から見て判断しているということだ。

世の中、とくに日本・世界・地球はとても広大だ。

だが私が見ているのは、その一部分でしかない。

”自分は頭がいい?優れている?” 

「とんでもない!!!」

あなたが見ているのは小さな世界だ。

時間という概念においても「輪廻転生」(円運動)を信じてすらいなかった。

私は時間を直線的運動として捉えていたのだ。

”これでわかった。私が見えている世界はほんの一部なのだ。”

(頭がいい・才能にあふれているとは、他人を尺度としてみているだけで、地球という大きさからみるとほんの一部分しか理解しておらず、小さな存在でしかない。

もし大きな存在がいるとするならば、それは他人を基準に判断しない人間だろう。

一見するとその人物は理解しがたい存在だが、日本・世界を包み込むような別種な物を持っているだろう。)